おもち合唱団

高橋喜和子(24歳ニート女優、それなりに健康)が楽しいことを書く日記です。

世の中には二種類の女児がいる。『顔が書いてあるTシャツ』を着られた女児と着られなかった女児だ。

 

小学校6年生くらいの時に『顔が書いてあるTシャツ』が流行った。

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こんな。ほんとは全然違うんだけど(イメージ)って感じ。確かハニーズに売っていた。懐かしいね。

 

クラスの女児が20人弱いるとしたら確実に10人は着ていた。学年の女児が80人いるとしたら40人は着ていた。

 

私は小学生の時点で可愛くない自分に半端ないコンプレックスがあった。自分は可愛くないのでは?という疑念はちょうど小学校6年生、周囲の児童が少しずつ番いの形を成し始めて確信に変わっていった。幼心にオシャレなブスは最悪では?と思っていたのだろう。私はとにかくオシャレに疎かった。というか疎いふりをしていた?いや。疎かった。疎くあろうとしていたのだ。シャカシャカしたジャージなどを着て、母が買ってくれたデニムの短いスカートなどはなんだか気恥ずかしくて着れなかった。

 

そんな感じでオシャレを忌避し続けたせいで自身の『装いたい欲求』がヤバいことになり中高ヤバいことになった話はとりあえず置いておいて。(ヤバいから)

 

とにかく私は流行っている服を同じように着たい自分を親にアピールできなかった。それ以前に他の女児並みに装いたいという気持ちがあるということがなんだか恥ずかしかった。卑屈な12歳だ。その時点で矯正されていればこんなことにならなかった。かわいそうに。

 

そして顔Tシャツブームは去った。

 

私はあの時顔Tシャツを着なかった事を今でも思い出す。着ていても何にもなかったのはわかるんだけど。顔Tシャツを着てる人しか出られない授業とかがあったわけでもないんだけど。でも、私は『着られなかった者』の業を背負い続けている(勝手に)

 

そしてきっとその反動なのだろう。なんだかんだあって自分の有り様を認められるようになった私は、とにかく流行り物には乗ろうとする。だって斜に構えるよりそっちの方が楽しいからね!!!

 

だけど乗れない時もある。世間が恋ダンスを踊っているとき、私の頭の中では顔の書いてあるTシャツを着た女児が笑っている。

 

逃げ恥、今から見ようか迷うな〜〜〜〜。

 

 

 

Twitterとわたし。と、これから。

大好きなメトロノームっていうバンドがいて、そのバンドの「僕の右脳猿の左脳」って曲が大好きで、最近聴くと泣いてしまう。検索すれば歌詞も出てくるしyoutubeで聴けます。歌詞もURLも貼らないけど。

 

誤魔化してるし誤魔化したいけど誤魔化す前の自分を認めてって曲(だと私は思ってる)

 

小学生から演劇を始めて、演劇を勉強する大学に入って、演劇を勉強した。演技が、お芝居が上手くなりたいって思って一生懸命頑張った。ご縁があって卒業後も常に取りかかれる台本があるくらいには舞台に出演できている。だけど、学校では教えてくれなかったこと。お芝居が上手くなるためにはお芝居し続ける事が大切で、お芝居をし続けるためには人気者じゃなくちゃいけないのだ。ということにいつか気付いた。うーん、気付かされたんだね。問答無用パンチ。ボコボコ。

 

人気者じゃなくっても出られる舞台はある。でも私は人気者が出るような舞台に出たい。人気者になりたかったわけじゃないけど人気者しか辿り着けないところに行くためにそれになりたかった。

 

で、そんな私がツールに使ったのがTwitterだ。私を知ってる人、舞台を観に来てくれる人、ブログを読んでくれてる人、は何回も見て聞いて読んでわかってると思うことだけど、私は全然可愛くない。が、自撮りは正直可愛いと思う。可愛いメイクで可愛い角度で撮って可愛いエフェクトを掛けてるから。私は「可愛い」にとてつもないコンプレックスがある。可愛くないから、可愛いなんて言われたことないから、だからこそ、可愛い人は褒め称えられ、多くの人に求められると信じていた。

 

だから私は可愛いメイクで可愛い角度で可愛いエフェクトを掛けた自撮りを載せ続けた。舞台ではいろんな角度からいろんな人の目で見られる。そんな誤魔化しは通用しない。けど、面白い作品を見せれば私の美醜なんてお客様にとって些事になる、と、

 

思って始めたTwitterだが、最近の私はダメだ。本当に自分のことを可愛いと勘違いしている。可愛いって言ってくれる人がいるから。いいねしてくれる人がいるから。嬉しくなっちゃった。

 

手段が目的に変わっていたことに気付いた。

 

私は可愛い写真を載せて、それよりは劣っているかもしれないけど必死に生きてる自分を見に来てほしかったし、可愛い写真を載せて、私の乱雑で猥雑な頭の中をのぞいてほしかった。のに、嘘ではないけど作られた可愛い人間が可愛い写真を撮って可愛い写真を載せて可愛いこと話して可愛い動きして可愛い生活してるふりして可愛いって言われて満足して矮小な承認欲求を満たしていた、のね。

 

私こんなもの食べたとか、こんなもの飲んだとか、そんなこと誰にも別に本当は教えたくないよ。私はこんなことを考えてこんなことを面白いと思っててこんな人のことはこんなもののことはクソだと思ってて大嫌いででも大好きでって話がしたいよ。恥ずかしながら現代人だしTwitter大好きだから今の俳優としての高橋喜和子の輪郭ってTwitterのアカウントの私で。なのに、手段を目的にしたせいで目的がどっかにいっちゃって、輪郭がぼやけちゃった。中身はすっ飛んでっちゃったよ。

 

だから、なるべく書きたいことを書きたいときに「この時間はTwitterに人が少ないからやめよう」とか考えないで「こんなこと言ったらリムーブされるかな」とか考えないで書くよ(こんなこと考えてるのって文字にするとすっごく恥ずかしいね)

 

でも、この長いブログを読んでくれた奇特な方がいてくれたなら勘違いしないでほしいこと。

 

一つ目に、ブスな私を享受して!ってことじゃないってこと。私は俳優を続ける限り売り物なのだから私の出来る限りのピークを目指し続けるのはもちろんです。でも、もしピークにたどり着いたとしたってきっと本物の「可愛い」に比べたらクソクソだからそれを評価してもらおうとしないよってこと。わかるかな?

 

二つ目に、別に突然、国際情勢の話しかしなくなったりしないし、とジェンダーの話しかしなくなったりしないし、過激な事を言いだしたりしないし、自分の嫌な部分をさらけ出したりしないし、鬱だ死のうみんな死ねとか言いだしたりしないし、おっぱいも見せないよ。そういう方向転換じゃないの。

 

三つ目に、人気者になりたくないわけじゃなくて。でも、今、私に会いに来てくれてる人ってちやほやしてくれてる人たちじゃなくて、私のこと岩みたいだったとか言ったり、私の書く文章が好きって言ってくれたり、演劇を愛してくれる人ばかりなんだよね。でも、結局それも私が原因で、ちやほやしていただいても、結局私が全然赤裸々じゃないんだから、会いに来てもらえっこないって気付いた。だから、なるべく赤裸々にするから赤裸々な私を好いて、会いに来て、仲良くなって。ということ。

 

四つ目に、自撮りは趣味だからこれからもどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん撮るし載せま〜〜す!!!!!

 

自撮りの中のキュートな私のこと、この世で私が一番好きなの!!!!私の好きな私を見せたい私は限りなく私だよ〜〜!!!

 

ということで、Twitter一掃します。年内にツイート全部消すので今お気に入りの自撮り保存してるところ。みんなももしお気に入りがあったら保存しといて!もしそこまでしてくれたら恐悦至極に存じま〜〜す!!!

 

ここまで読んでくれた人、本当に大好き。ずっと一緒に人生頑張っていこうね。

 

そろそろ年末。新規記事。

ブログをちゃんと書こうと思って書かないことを続けている。

 

書こう書こうと思うと、どうにもおもしろいことを書かなければと思ってしまうから。見栄張りのクズ。消えた方が良い。アー。こいぬの乗車線。

 

でも毎日動画を撮ってるとなんだかんだ毎日平均して同じくらいの人が見てくれてるんだろうな。というのを感じる。だから大事だね。ブログもなるべく書こう。

 

そもそもこんなブログ奇特な人間しか読んでない。Twitterのいいねとか自撮りあげてる時とあげてない時の差とかすごいしね。私のことをフォローしてくれてる人は顔(化粧と角度の加工により作り上げられた代物)を見てくれてるためにフォローしてくれてる。れてるれてるれてる。ありがとう奇特な人間たち。

 

私という人間の2割のまともな部分をTwitterにあげてしまっているから長い文をあのキャラクター。キャラクターではないよ、あれもちゃんとハッピハッピーな部分の私なんだけど、長文をハッピハッピーにできるほど私のハッピハッピーゲージは高くない。

 

こうやっていうと私は特別な存在!みたいな風に思ってるんだろ?って思われそうで恥ずかしい。この世で最も恥ずかしいと思う。特別な存在みたいな風に思ってるんだろ?と思われること。

 

今ファミレスにいるんだけど30代くらいの男女が君の名はの話をしている。男が「まあさー、俺、世の中を穿った見方しちゃうみたいなところあるじゃん?全然だったわー。」と言っていた。

 

「俺、世の中を穿った見方しちゃうみたいなところあるじゃん?」

 

よくそんな話始め方ができるなと思う。すごい。なんだよそれ。お前自分のこと特別だと思ってるんだろう。マイノリティの俺。マジョリティの流行りを穿った見方で批判する俺。おれおれおれおれ。

 

でも本当は特別に存在みたいに思ってるんだろ?って思われたってそうだぞ自分は特別だぞって思える人が強いって私わかってるんだよ。なれない。

 

はー。家系ラーメン食いてえなー。

中学生の女の子の友達が欲しい。(できればYouTubeやニコニコ動画にハマってない子がいい)

 

タイトルのままです。約2ヶ月ぶりのブログです。本当はたくさん下書きに溜まってるんです。「『泣ける作品教えて』と『抱ける女紹介して』は同じだ」とか「幸不幸は相対?絶対?」とか、書いてるんだけど、なんか書いてるうちにごちゃごちゃしてきてまたあとで書こうと思って1週間後とかに書こうとするとそれについて自分の考えがまるっきり変わってたりして書けないみたいなね。

 

でもこれについては普遍的な気持ちです。中学生の女の子の友達が欲しい!!!(できればYouTubeニコニコ動画にハマってない子がいい)

 

中学生の女の子と友達になって「好きな子いるの?」って聞きたい。ちなみにその場合のベストアンサーは「うーん、好きな人はいないけど、気になってる人はいる…かな…」です。「気になってる人」この言葉の瑞々しさ。好きな人とほぼ同義ではありながらはっきり好きとは明言しない恥じらい。

 

あとは普通にインターネットが生活に染み付いてる中学生の日常が知りたい。私が中学生だった頃も携帯電話は持っていたし、パソコンでネットはしてたけどそんなに近いものじゃなかった。あと、SNSがなかった。高校入ってミクシィ始めた。懐かしいな。ミクシィ。ふふふ。あ、でもamebaブログはやってたか。

 

私は自分が中学生のときにTwitterやってなくてよかったなあと思う。もし私が現代の中学生なら今みたいに写真を撮ってTwitterにあげて、本当の名前を知らないたくさんの人が言ってくれる可愛いを間に受けてたと思う。今、22歳の私に名前を知らないたくさんの人が私にかけてくれる可愛いは私の中で可愛いという本来の意味をなくしてなんか嬉しくて心地の良い電波みたいな感じで私には届いている。あんまりわかんないけど、ゲロ嬉しいということ!その話はまたいつかします!が、私は本来の自分が本当はそんなに可愛くないことを知っている。世の中には億万と可愛い人がいて私はどっちかといえば可愛くない。残念ながら。それは多分中学生のときに気付いたけど、Twitterがあったら気付けなかったと思う。中学生のときって自分の出来?みたいなものを受け入れるか受け入れないかは別として真っ向から受け止める時期じゃない?

 

高校の先生が「だいたいの先生方は高校は皆さんの将来の選択肢を増やす場だと言いますが、私はそうは思いません。高校は出来ないことを知り選択肢を減らす場です。」って言っていたことを思い出す。夢も希望もないことを言う人だなって思ってたけど結局はそうなった気がする。そこまで自分は頭も良くないし、優しくもないし、我慢強くもないし、簡単に人望を得ることもできないってことに気づいたのは高校の時だったかも。

 

よくよく考えたら私は中学生のときの自分と友達になりたいのかもしれない。びっくりするほど引くほど男の子からモテないのに、なんか漠然と自分は特別だと思えていた頃の自分に色々聞きたい。本当は今でもそうなりたいけど、私ってどこを取っても普通なんだよなあ。でも、そんな自分のことが結構好きだからそれはそれでいいんだけど。

 

だから、自己顕示欲が無駄に強くて、自分は特別だって思ってて、なにかやりたいこととか好きなことがあって、できればYouTubeとかニコニコ動画とか動画提供サービスにハマってなくて、そして引くほどモテない女の子がいたら是非友達になってください。最後のが一番大事です。嘘です。嘘ではないです。

 

あとは、イルカの調教師さんとは絶対友達になりたいので心当たりある方は連絡ください。

ひとりぼっちのみんな、始まってるよ。

 

毎日書くって言ったのはどこのどいつだよ。と思っている。

 

忙しさを言い訳に日課を欠かすのは良くない。良くないことをしている。良くないことはしてはいけないので反省する。ちーん。

 

ユニットを立ち上げた。ひとりぼっちのみんなという名前。名前を考えているときはちょうどひとりぼっち惑星が流行っていた時期だったから共同代表の伊藤香菜(い とう か なだからいかちゃん。以下いかちゃん。今後いかちゃん。)にそこらへん大丈夫かな、と聞いたらなにそれ?と言われたので、あ、大丈夫だわ、と思ったのでこのままにした。

 

出てくれるのは、私といかちゃんが、いいなーと思った女の子たち。みんな前途多難だ。私もいかも。女の子たちも。でも、強い女の子たちを呼んだ。

 

いざ、いざという時には、誰も助けてくれない。それは別に世間は実はめっちゃ冷たいぞ!とかそういうことじゃなくて、まあそういうことももしかしたらあるのかもしれないけど、周りがどれだけ優しくても暖かくても、他人の言葉じゃ結局根底は救われない。自分である程度までは救い上げないと、他人が差し伸べてる手なんて見えないし、見えたとしてもクソ無価値に見えるから。私を救ってくれたのは演劇が好きな私だったし、小説が好きな私だったし、音楽が好きな私だった。私は演劇に、小説に、音楽に、恩返しがしたい。そのためならなんだってしたいと思える。

 

共同代表のいかちゃんはネガティヴだ。口を開けば暗いことばかり言う。死ぬね。が口癖だと思う。常にお金もない。こないだ残高がオーメンだよ〜、と言っていた。大学からの付き合いだがずっと彼氏もいないし、背も低いし顔はまあ可愛いはずなのに卑屈だからモテない。お腹が減ったら子どもみたいにお腹減った〜お腹減った〜ってずっとうるさいし、頭の中にいかちゃんを思い浮かべようとするとすっぴんジャージ姿で出てくる。女の子として幸せかといえば、そんなことないかもしれない。

 

だけど、いかちゃんはとにかく演劇が好きだ。

演劇のことならめちゃくちゃ頑張るし、好きになる男だって、え?その人が好きなの?その人が好きな演劇が好きなの?みたいな人ばかりだし、演劇が絡むと普段はねむいだるいめんどくさいばっかり言うくせにフットワークも軽い。

そして、好きな甲斐があって演劇の神様みたいなものがいたとすれば結構愛されてる。と思う。

 

きっといかちゃんも演劇に助けてもらったことがあるんだと思うし、今も助けてもらってるんだと思う。私も同じ。だから、何かをやり始めるなら一緒にやりたいな。と思った。

 

つらいことがあったから演劇が頑張れないなんて嘘で、つらいことがあった時こそ演劇は私たちを優しくさらにつらい目に合わせてくれる。悲しいことなんか忘れるくらい演劇はしんどくて、楽しい。

 

演劇を知らない人に見にきてほしい。演劇を知らなかった人が1人でもいいから、演劇の良さに気付いてくれたら、きっと少しだけど恩返しになるから。

 

 

小さな意識改革

朝早く起きたらめざましテレビをつける。8時になったらスッキリに変えて、10時になったらノンストップ!に変えて、12時になったらヒルナンデスを見る。

 

ヒルナンデスでは代官山や自由が丘の奥様に旦那さんを見せてください!などというコーナーをやったりしている。私はそれを見ながら、代官山の旦那様なんかどうでもいいわ!小岩か足立でやれ!(ドチャクソ偏見)などと毒づきながら見ている。

 

ヒルナンデスは時間帯的にも若い主婦?や大学生へ向けた番組だと思う。

 

若い女性は常にカロリーを気にしているため、低カロリーメニューなどの特集も多い。

 

私はそれを見るたび、ハァ?わざわざラーメン食うのになんで脂と小麦を節制せねばならぬ!!!そんな輩はこんにゃくでも食ってろ!!!と思っていた。口で言ってすらいた。

 

そして、今、私はダイエットの真っ只中にいる。理由は簡単に言えば太り過ぎだが、まあビジュアル撮影があったりとかするのもある。一生デブとして残るのだ。それはきつい。

 

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今日の夕食はこれだ。糖質ゼロのサラダ担々麺。普通の麺の代わりに春雨的な麺が使われている。カロリーも2、300kcal抑えられている。単刀直入に言おう、超美味しかった。ダイエット中に麺が食べられることが、こんなに幸せだったとは思わなかった。最高だった。

 

今後はヒルナンデスの低カロリーコーナーを進んで参考にしていこうと思う。メモを取ってもいい。すぐにたべログで検索するのもアリだ。

 

しかし、金持ち美人若奥様(それとその旦那)に毒づくことは当分やめられそうにない。

馬鹿と煙は高い所が好き、と言うから。。

 

友達とスカイツリーに行った。スカイツリーは634m(ムサシと覚える、と教わった)ある。確かにまあ高いけれど頂上まで行くにはお金が掛かることを考えればそこまでして登らなくていいや。というのが私の思うところだ。

 

しかし、チケット売り場に並ぶ長蛇の列を見て私は少し辟易してしまい「すごい並んでるね。みんな高いところが好きなんだね。なんかばかみたい。」と言ってしまった。ばかみたいでは別にないと思う。嘘、ちょっとばかみたいではあると思うけど、そんなの人それぞれだと思う。こういう卑屈で他人への妬み嫉みしかないような人間だからだめなんだ。悲しい。

 

いきなり毎日更新をしない、THE三日坊主みたいなことをしましたが、こういうくだらなくて短い記事を性懲りも無く書きたいときに書くことにしました。おしまい。元気に寝ろよ。