おもち合唱団

高橋喜和子(24歳ニート女優、それなりに健康)が楽しいことを書く日記です。

中学生の女の子の友達が欲しい。(できればYouTubeやニコニコ動画にハマってない子がいい)

 

タイトルのままです。約2ヶ月ぶりのブログです。本当はたくさん下書きに溜まってるんです。「『泣ける作品教えて』と『抱ける女紹介して』は同じだ」とか「幸不幸は相対?絶対?」とか、書いてるんだけど、なんか書いてるうちにごちゃごちゃしてきてまたあとで書こうと思って1週間後とかに書こうとするとそれについて自分の考えがまるっきり変わってたりして書けないみたいなね。

 

でもこれについては普遍的な気持ちです。中学生の女の子の友達が欲しい!!!(できればYouTubeニコニコ動画にハマってない子がいい)

 

中学生の女の子と友達になって「好きな子いるの?」って聞きたい。ちなみにその場合のベストアンサーは「うーん、好きな人はいないけど、気になってる人はいる…かな…」です。「気になってる人」この言葉の瑞々しさ。好きな人とほぼ同義ではありながらはっきり好きとは明言しない恥じらい。

 

あとは普通にインターネットが生活に染み付いてる中学生の日常が知りたい。私が中学生だった頃も携帯電話は持っていたし、パソコンでネットはしてたけどそんなに近いものじゃなかった。あと、SNSがなかった。高校入ってミクシィ始めた。懐かしいな。ミクシィ。ふふふ。あ、でもamebaブログはやってたか。

 

私は自分が中学生のときにTwitterやってなくてよかったなあと思う。もし私が現代の中学生なら今みたいに写真を撮ってTwitterにあげて、本当の名前を知らないたくさんの人が言ってくれる可愛いを間に受けてたと思う。今、22歳の私に名前を知らないたくさんの人が私にかけてくれる可愛いは私の中で可愛いという本来の意味をなくしてなんか嬉しくて心地の良い電波みたいな感じで私には届いている。あんまりわかんないけど、ゲロ嬉しいということ!その話はまたいつかします!が、私は本来の自分が本当はそんなに可愛くないことを知っている。世の中には億万と可愛い人がいて私はどっちかといえば可愛くない。残念ながら。それは多分中学生のときに気付いたけど、Twitterがあったら気付けなかったと思う。中学生のときって自分の出来?みたいなものを受け入れるか受け入れないかは別として真っ向から受け止める時期じゃない?

 

高校の先生が「だいたいの先生方は高校は皆さんの将来の選択肢を増やす場だと言いますが、私はそうは思いません。高校は出来ないことを知り選択肢を減らす場です。」って言っていたことを思い出す。夢も希望もないことを言う人だなって思ってたけど結局はそうなった気がする。そこまで自分は頭も良くないし、優しくもないし、我慢強くもないし、簡単に人望を得ることもできないってことに気づいたのは高校の時だったかも。

 

よくよく考えたら私は中学生のときの自分と友達になりたいのかもしれない。びっくりするほど引くほど男の子からモテないのに、なんか漠然と自分は特別だと思えていた頃の自分に色々聞きたい。本当は今でもそうなりたいけど、私ってどこを取っても普通なんだよなあ。でも、そんな自分のことが結構好きだからそれはそれでいいんだけど。

 

だから、自己顕示欲が無駄に強くて、自分は特別だって思ってて、なにかやりたいこととか好きなことがあって、できればYouTubeとかニコニコ動画とか動画提供サービスにハマってなくて、そして引くほどモテない女の子がいたら是非友達になってください。最後のが一番大事です。嘘です。嘘ではないです。

 

あとは、イルカの調教師さんとは絶対友達になりたいので心当たりある方は連絡ください。